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陳謝と謝罪の違いと使い分け ~泣いて謝るだけでは陳謝(ちんしゃ)とは言わない?

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国会議員の国会での答弁や質問、記者会見が行われるたびに「遺憾に思う」「遺憾の意」に謝罪の意味は含まれていない?「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」は「残念で仕方がない」という意味ではなかった!という以前書いた記事にアクセスが集中しているのを見かけます。同じくらい報道でよく使われるものに「陳謝(ちんしゃ)」という言葉がありますが、この陳謝という言葉は「謝罪」とはどう違うのでしょうか。

陳謝と謝罪の謝り方の違い

kokkai

陳謝(ちんしゃ)の「陳」という字には「つらねる」「のべる」という意味があります。つまり陳謝とはただ謝ることではなく、理由を添えて謝ることを言います。

陳謝(ちんしゃ)とは、理由を添えて謝ること。何について謝っているのかを明らかにしている

陳列(ちんれつ)という言葉はモノをならべている状態のことを言いますが、同様に、この「陳」という字を使う「陳列」では謝罪の内容(対象)を明らかにしたうえで謝っています。陳謝は謝る内容を棚の上に置いて、ひとつひとつ、指をさしながら謝っているイメージを浮かべるとわかりやすいでしょう。

たとえば「西端さんの大切にしていた器を割ってしまったことについて、陳謝した」「経営危機に陥ったことについて陳謝する社長」という表現は何について謝っているのか、その理由が添えられていることがわかります。一方で「彼はただ泣き続けて陳謝した」「電話ひとつ寄越さずに詫び状ひとつで、彼女は陳謝したつもりらしい」という表現は具体的な対象についての言及がないまま謝っている状況を表します。先ほどのイメージでいえば、棚の上に何が置かれているのかわかりません。このような場合は陳謝ではなく「謝罪」という言葉を用いるのが一般的です。

謝っている感じがする「遺憾に思う」や「慚愧に堪えない」「不徳の致すところ」という言葉だけれど

冒頭でも書いたとおり「遺憾に思う」や「慚愧に堪えない」「不徳の致すところ」という言葉はいかにも過失について詫びたり後悔しているような印象を受けますが、実際の意味は違います。

「遺憾に思う」「遺憾の意」に謝罪の意味は含まれていない? | コトバノ
「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」は「残念で仕方がない」という意味ではなかった! | コトバノ

また「不徳の致すところ」という表現も謝罪の場面でよく使われるようです。この「不徳の致すところ」にも謝罪の意味があるのかどうか、確認しておきたいですね。

「陳謝」「遺憾」「慚愧に堪えない」「不徳の致すところ」という言葉は、政治家や企業の不祥事があったときに耳にすることの多い言葉。本当の意味を十分に理解したうえで記者会見や報道の内容に目を通し、耳を傾けてみると、また随分と印象が変わってくるのではないでしょうか。