「とんでもございません」はとんでもない誤用
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140文字で変わる表現力 とんでもございません, とんでもない, 誤用
「とんでもございません」という言葉を耳にすることが増えてきたように思います。目上の方に対して、そしてビジネスの場で用いられることの多いこのフレーズ。ところが「とんでもございません」と丁寧に表現したつもりが実は誤用であるというのが今日のお話です。
「とんでもございません」という言葉が誤用である理由
「滅相もない」「もってのほかである」という意味を持つ「とんでもない」。これは「とんでもない」で一語として成立しているため、「とんでもございません」と語尾を変化させてしまうのは誤用であるとされています。
「とんでも+ない」と切り離すことは不自然。
「とんでもない」で一語として考えれば、「とんでもございません」という表現が成り立たないことがわかる
→「はかない」や「せつない」と同様に考える
「はかない」や「せつない」という言葉が一語として存在するのと同じく「とんでもない」を分解することはできません。「とんでもございません」と書くと丁寧な印象があるような気がしますが、これは誤り。「とんでもないことでございます」と書くのが正しい表現になります。
会話で使う「とんでもございません」はOKか?
ところで。
文化庁の文化審議会と聞くと堅苦しい組織のイメージがありますが、意外にも「言葉はこう使うべきである」と厳密に規定するのではなく、時代の変化に応じて柔軟に言葉の解釈をしていこうという働きかけを行っています。
平成19年に行われた審議会の答申では、この「とんでもございません」という本来は誤用である表現について、『相手が自分を褒めてくれたことに対して謙遜する意味で用いる「とんでもございません」「とんでもありません」はOKとしましょう』という解釈をしています。会話のなかで定着しつつある表現は、役所や学者のなかでも積極的に認めていこうという流れがあるのですね。
言葉や文化は時代と共に変化します。これも毎回お伝えしていることですが「これが本来の意味である」「こういう解釈も許されるようになった」と知識で相手を罵倒するのではなく、本来の意味や変遷を心得た側の人間が、相手への配慮として柔軟に表現を使い分けられるようになれば会話や伝達は優しさに満ちたものになるのではないかと考えています。
「とんでもない」誤用をしてしまうことも問題、されど、知識が人を傷つけるようになってしまっては「せつない」。
うまくまとまったかどうかはさておき、こんな願いを感じ取っていただきつつ、「とんでもない」の正しい使い方を知っていただけると幸いです。
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