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「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」は「残念で仕方がない」という意味ではなかった!

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「慚愧に堪えない(ざんきにたえない)」「慚愧の念に堪えない(ざんきのねんにたえない)」という言い回しは、政治家や著名な方が残念な気持ちや謝罪の意思を伝えるときによく使う言葉。「本当に申し訳なく思っている」「残念だと考えている」というニュアンスで意味を理解している人も多いかもしれませんが、今回はこの「慚愧(ざんき)」という言葉について紹介します。

「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」は、単に「残念だ」という意味ではない

nakama

「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」という言葉は役人言葉と揶揄されることも。「残念に思っております」という意味を小難しく遠回しに伝えているものだと考えられていますが、慚愧に堪えないとは「ただ残念だ」という意味だけではないことを知っておきましょう。

慚愧(ざんき)に堪えないとは、恥ずかしく思うという意味。
してしまったことを後悔しながら、それを恥じ入っている。

「慚愧に堪えない」とは、すでに終えた行為を後悔して恥ずかしく思うこと。恥ずかしく思うのですから、その行為自体に問題がある(原因がある)というニュアンスを含みます。

たとえば「私たちの大切な仲間を不慮の事故で失ってしまい、慚愧の念に堪えない」という表現にしてしまうと、仲間を失ったことの理由は自分に非があるという意味になってしまいます。行為に咎められる原因がなく、結果との因果関係がないのであれば、「私たちの大切な仲間を不慮の事故で失ってしまい、残念でならない」と書くべきでしょう。

「私たちの会社の人間がこのような事件を引き起こしてしまったことは、慚愧に堪えない」と書くとどうでしょうか。上述した通り、「慚愧に堪えない」には「恥ずかしく思う」という意味があります。この場合、事件を引き起こした本人はもちろんですが、管理監督するべき立場だった会社がそれを見抜けなかった点は恥ずかしいことだという意味合いを伝えることになり、使い方に問題のないことがわかります。

普段、私たちが日常で「慚愧に堪えない」という表現を使うことは滅多にないと思いますが、この表現は謝罪を伝える記者会見などでよく耳にします。そのとき、単に「残念に思う」の意味で使っているか「恥ずかしいことだと思っている」という意味で使っているか、意識して聞いてみると面白いかもしれません(悪趣味かもしれませんが^^;)

役人言葉の「遺憾に思う」「陳謝」の意味を復習しておこう

「慚愧に堪えない」と同じ役人言葉として「遺憾に思う」という表現が挙げられるのではないでしょうか。また、「陳謝と謝罪」の違いについても知っておくと記者会見などを見るときに意識が変わります。

「遺憾に思う」「遺憾の意」に謝罪の意味は含まれていない? | コトバノ
陳謝と謝罪の違いと使い分け ~泣いて謝るだけでは陳謝(ちんしゃ)とは言わない? | コトバノ

「遺憾に思う」「遺憾の意」という言葉も、わかっているようでわかっていない言葉。やはり記者会見などで使われているのをよく耳にします。自分たちが日常で使う言葉ではないかもしれませんが、遠回しな表現で問題の本質を有耶無耶にされていないかどうか、耳を傾けていたいですね。